ゆがふ日記

ジュリアン・ジェステール
「Histories of life: Ishigaki」

2019年11月21日(木)
上原 輝樹

フランス日刊紙「リベラシオン」の映画批評家であり、同紙文化部チーフである、ジュリアン・ジェステール氏が、アンスティチュ・フランセ日本が主催する上映イベント「第一回 映画/批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~」のために来日したのは、今年、2019年の3月〜4月にかけてのことだった。来日したジェステール氏にインタヴューを申し出ると、そういうことならば、恵比寿横丁で一杯飲みながらどうか?ということになり、間を繋いでくださった坂本安美さんとともにひと時の時間を共に過ごした。

私自身、「映画/批評月間」で多くの作品を見ることが出来たわけではないが、人間の欲望と禁欲の相克という普遍的テーマを、21世紀の忙しない現代人に対して悠々たる度量を以て問いかける、大胆不敵なサイエンス・フィクション映画『ハイ・ライフ』(2018)に大いに感銘を受け、上映後に行われた、フランスから駆けつけたクレール・ドゥニ監督と黒沢清監督のトークショーは、全く異なる個性の2人の映画監督が、実に率直な物言いで互いの持論を曲げずに言葉をぶつけ合うさまが痛快にして滅法面白かったことは、今も記憶に新しい。

同じく「映画/批評月間」で上映されたベルトラン・マンディコの『ワイルド・ボーイズ』(2017)は、タイトルに恥じない、ジャン・ヴィゴとパゾリーニ、ロビンソン・クルーソーとアレクセイ・ゲルマンが合体したような、ビザールな官能とエネルギーに満ちた映画だが、”島”の造作は、1930〜50年代のハリウッドBムービー的ジャンル映画の気配を感じさせながらも、ボーダレスな性描写が、ポップカルチャー全盛の80年代ニューロマンティックのプラスティックな色気を漂わせる、男性が進化して女性になるという発想は、ルシール・アザリロヴィックの『エヴォリューション』(2015)と同様に、優れて21世紀的な思潮を鮮やかに彩るもので刺激に満ちていた。

つまり、『ハイ・ライフ』も『ワイルド・ボーイズ』も、アイデンティティが別の何かに変転したり、生成したり、反転したりする物語なのだが、丁度その時期に、スパイク・リー『ブラック・クランズマン』(2018)についての原稿を書いていた私は、『ブラック・クランズマン』も『ハイ・ライフ』と『ワイルド・ボーイズ』と同じように変転し得るアイデンティティについての映画だと思う、といったような感想をジュリアンにぶつけたり、最近見たアメリカ映画(クリント・イーストウッド『運び屋』(2018)など)の感想などを言い合っている内に、酒が回ってしまい、インタヴューというよりはただの酒席になってしまったような気がして、その後、録音した音声を聴き直す勇気が湧かなかったことをここに告白しておかなければならない。

「石垣島ゆがふ国際映画祭」の準備で後日石垣島に行く予定だった私は、偶然、この後、那覇〜石垣島に行くつもりだというジュリアンと石垣島のバーで再開することを約束したものの、日程が合わず会う事は敵わなかったが、その石垣旅行の際に、ジュリアンが撮影した写真を、ここにこうして掲載することが出来たことを嬉しく思う。ジュリアンは、訪れた時の石垣の天候が曇り空だったことを悔いていたが、それでも、これらの写真には、紛れもない石垣島の”生活の歴史”の一端が捉えられていると思う。恵比寿横丁で、ライカのデジタルで一瞬一瞬を素早く切り取っていくジュリアンの早業は今も私の脳裏に鮮明に焼き付いている。

ジュリアン・ジェステール プロフィール

photo: Teruki Uehara

2012年よりフランス日刊紙「リベラシオン」のジャーナリスト、映画批評家として活動、現在は同紙の文化部チーフを務める。それ以前は人気カルチャー雑誌「レザンロキュプティーブル」に執筆、ファッション誌『Mastermind』の編集長、『Grazia』フランス版創刊にも携わる。そのほか、ポンピドゥー・センターやシネマテーク・フランセーズでの講演や、セルジュ・ダネーらが創刊した映画雑誌『トラフィック』、ファッション雑誌『ヴォーグ』、『Acne Paper』、『Vanity Fair』など多種多様な雑誌への寄稿も定期的に行う。世界各地の映画祭などでプログラムに携わる一方、ロシアで写真展が開催されるなど、現在は写真家としての評価も高まっている。
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